カテゴリー「アジア・ヨーロッパ」の記事

2009/07/04

中正紀念堂

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午前九時 開堂

中正紀念堂の前で

蝉の声を聞いた

台湾にも蝉がいるという当たり前の事に少し驚いた

出張の最終日、午後便で帰国までのつかの間

久しぶりに台湾を訪れたNさんを案内して

建国南路の花市・玉市、101ビル、廸華街を巡り

一路 桃園国際空港へ

途中 蝉の声がまた車の中まで聞こえてきた

台湾は真夏になる

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2008/09/16

中秋節 當時明月在 曾照彩雲歸

今週は中秋節でした。残念ながら、台風Sinlaku(シンラコウ,13号)の影響で、当日満月を愛でる事はできませんでしたが、 台湾のAさんからメイルが届き、こんな宋詩を紹介してくれました。

「當時明月在  曾照彩雲歸」 晏幾道

夢後樓台高鎖  酒醒簾幕低垂 去年春恨卻來時 

落花人獨立 微雨燕雙飛 

記得小蘋初見 兩重心字羅衣  琵琶弦上說相思

當時明月在  曾照彩雲歸

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2008/09/12

香港島夜景

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午後10時を廻り、 暑さも和らぎ、喧騒もようやくおさまってくる頃、九龍の香港芸術館前の埠頭に立つ。この時間になると香港島の夜景を眺める観光客達のせわしさもなくなり、ゆったりと散歩している。向う岸の香港島の高層ビル群の灯りが夜の漆黒の闇の中にゆらゆらと煌く。

 昼間は大陸やアジアから世界全域に広がるネットワークの中心都市の一つとしてエネルギッシュに活動するこのコスモポリタンシティも、今は緩やかな休息の中にある。しかし、あのビル群の陰には、今宵もよりよい明日を夢見て、あるいは野望を抱いて不眠不休で働き続けている人間達が蠢いている事を忘れてはならない。

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香港の夕暮れ

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 今朝、九龍から国際鉄道に乗って東莞の知人の工場まで一日掛けて往復してきた。香港に戻るとなんとも言えずほっとした気持ちになる。

 夜はまた別の香港人の友人と香港島の君悦酒店(GrandHyatt)で会う予定。天星小輪(スターフェリー)に乗って湾仔(ワンチャイ)に渡ろう。

 その時、尖沙咀(チョムサチョイ)の船着場から見た夕暮れ。沈みゆく柔らかな陽光と漂う海の香りに今日一日の疲れが癒されるように感じた。

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2007/12/10

シンガポール着

 6時間半のフライトの後、南国シンガポールのチャンギ国際空港に降り立った。日本の寒さとはうって変わって、こちらは28度の暑さ。雨季らしいが昨日・今日と雨が降り続いていたらしく湿度の高さを感じ、汗ばむ。

 夕食はこちらに駐在する日本人のOさんと。何でも最近は、不動産価格の上昇が激しいらしい。好況に加え、海外からの労働者も増加、また大陸の金持ちがシンガポールに投資をしており需要が高まる一方、供給が追いついていないとの事。あちこちで建築中のマンションを見る。株価も日本に比べると、というか、日本だけがと見ているが、相対的に堅調に推移しているらしい。

 アジアに出てくると、思い過ごしすぎかもしれないが、日本の相対的活力低下がいつも気になる。

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2007/08/12

Dusseldorf

0708_dusseldorf1  土曜日、昨日の小雨から晴天の気持ちの良い朝となっていた。午前中、部屋で仕事をして、昼前から夕方の出発まで、Dusseldorfの街を歩くことにした。Immermann-str.から旧市街に向ってのんびりと歩く。

 水路?と並木道があるケーニヒスアレー(Königsallee)通りでは、木陰が増えてほっとする。さらに、進むと市電が走るBreite通り。その通りを越えると、少し進むと、ぱっと、明るい石畳の小路に出る。散策やショッピングを 楽しむ人たち通りを満たしている。旧市街と言われるところだった。

   ドイツの街歩きはわくわくする。ウィンドウに飾られている商品が、どれも個性的なデザインで目を惹き付ける。製品というより工芸品の感覚がある。ドイツ駐在のS君が「ドイツ人は道具に拘る」と言う。なるほど、刃物で世界的にも有名なSolingenがある。また機械産業や設備産業が発達しているのもそのせいかもしれない。世界でも、製品にとりわけ愛着を持つのは私達日本人とドイツ人(ヨーロッパ人)ではないかと思う。(そんな折、「白い恋人賞味期限改ざん事件」が、そして「雪印事件」「ミートホープ事件」を思うに、隣の中国だけでなく、既に日本も品質危なしと思わざる得なくなる。)

0708_dusseldorf2_2 さて、日頃、買い物には殆ど無関心な私も、立ち寄った雑貨店で見つけた手作りの華やかな色糸を紡いで作ったサカナとリンゴの小物、落ちた木の実で作ったネズミ?の小物を家の中で飾ってみようと買った。

 青空の下、ライン河畔に出た。思っていたよりも川の流れは早く、泥色をしている。荷物運搬船が砂利等を運んでいるのだろうか川を次々と行き来する。向う岸に羊の群れが見えた。
 ライン河畔のプロムナードでは、ドイツの短い夏を惜しむかのように多くの地元の人達や観光客だろうか、色鮮やかなテントとテーブルと椅子を出したレストランカフェでビールや食事や団欒を楽しんでいる。

0708_dusseldorf3_3 まだ時間があったので、一緒に来たYさんとライン河の観光船に1時間乗る事にした。屋上デッキの机に座って、アルトビールを頼む。琥珀色したビールである。吹く風が気持ち良い。隣に座った50代後半位の2組の夫婦だろうか、聞くとアゼルバイジャンから来たと言う。アゼルバイジャンはドイツからそう遠くないのか。日頃テレビニュースでしか聞かない余り慣れ親しんでいない国の名前だと、頭の中の地図がぼんやりとしてしまう。

 船は、ライン河を少し登り新市街と展望台を客に見せた後、河の流れに任せて下っていく。水鳥たちも河の流れに身を任せているが、その動きから流れの速さを改めて知る。

 船上の案内がスピーカーからドイツ語と英語で流れてくる。500年以上の歴史の街のようだがよく聞き取れなかった。改めて、ドイツ・欧州の歴史を勉強しておこうと思った。

 船から下りて、再び旧市街を歩く。昨日、あるドイツ駐在員の方に聞いた、旨いという、「メッツブルスト」ー中身は忘れてしまったがーというメモを片手に、無数に出会うビール店の一つに入って注文した。発音が悪いのかどうも通じない。結局、出てきたのは何でもないソーセージだった。店を出るときに、店員が「これだな!ドイツ風刺身だ。」とそこにおいてある料理を指差して言った。思い出した、発音はともかく「メッツブルスト」は豚肉の刺身だった。食は、次の機会に取っておくことにした。

 美しいをMarktplatzの前通り、ホテルに戻る。夕方、Dusseldorfを後にし空港に向った。

 

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2007/08/11

Regensburg

Regensburg  Regensburgを気に入っている。観光コースでは余り有名でないのか日本人でも知る人は少ないようだが、この街は実に美しい(後で知ったが、2006年に街全体がユネスコの世界遺産に登録されたそうだ)。街の中心部にはゴシック様式の大聖堂(Dom St. Peter)が建つ。尖塔が天に向って伸びる。このドームは遠くから見ても近くから見ても、力強く美しく荘厳である。1200年代から1800年代まで建築・改築を重ね今日の姿になったそうだ。小雨の降る早い朝立ち寄った。まだ誰もいなかった。がらんとした祈りを捧げる人達が座る椅子の列、その向こうの正面に大きな祭壇、更にその後ろに3列2階立てというのだろうか高い天井までそびえるステンドグラス。左右の壁や柱には多くの聖者の彫刻や絵が飾られている。何百年にも渡り、何万人、何十万人もの人々の祈りが折り重なってきたこの場所にいると、厳粛な気持ちになり沈黙の中に沈む。

 前の晩の夕食時ドイツ人のHさんに言われた。「君が座っている隣の壁は1世紀にできたんだよ」。ローマ時代、この地にローマ帝国軍が駐屯し要塞(Castra Regina)を造った。その折出来た石壁を使ってレストランにしている。食後、Hさんが街を案内してくれた。「この道と垂直に交わるこの道が、ローマ時代の城壁の端だ」と道を指し示しながら教えてくれた。「ここがあのスピルバーグが映画化もしたシンドラーが住んでいたところだよ」、何気なく示した建物。シンドラーは第二次世界大戦中、自分の工場で働いていたユダヤ人をホロコーストから救ったと言われている。旧市庁舎、「ここで神聖ローマ帝国の各地域の王達が集まったのさ、Regensburgは独立した自由の街だった」「ただここのあのベランダに立ってヒトラーも演説した、恥ずかしい歴史だけど。。」、約30分、まだ夏の夜の街を楽しむ人々の間をさまよいつつあるいた。最後に大聖堂の前に出た。空を見上げたが、曇っていて星は見えなかった。彼が「Regensuburgにはケプラーが住んでいたよ」、ケプラー。。。あの惑星の運行法則を見つけた天体学者か。。私も思い出した。それがその日の最後の街の歴史の授業だった。

 Regensuburgの美しさを私の不足した言葉で現す事は難しい。目を瞑ると、今もその姿が甦る。その夜、暗闇の中、滔滔と流れるドナウ川に掛かるドイツ最古の石橋(Steinerne  Brucke)を渡ってホテルに戻った。

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2007/08/09

Stuttgart

Stuttgartの朝、ホテルの窓から見る景色は小雨だった。Stuttgart駅のすぐ近くのホテル。ダイムラークライスラーの本社がここにあるそうだ。調べると、ボッシュもポルシェの本社もこの街にあるらしい。ドイツ自動車産業の本拠地というわけだ。夜遅く到着し、朝すぐ出て行くので街を見れたのは昨晩の遅い夕食時だけ。

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2007/08/08

London

0708_london  ロンドンに昨夕到着。時差ボケのせいで、今朝は午前3時過ぎには目が覚め、結局パソコンに向かって仕事を始める。今は午前5時10分、窓の外は既に白み始めている。見上げると三日月。今日は、昨日の快晴とは、うって変わって曇が多い。宿泊は、Lancaster Gate駅の近くのホテル。目の前は、HydeParkでその林が広がっている。林の更に遠く向こうの方に、半円形で紫色っぽくライトアップされた大きな建物?が浮かんで見える。地図で調べると、London Eyeという観覧車かもしれない。目を左に移すと、背の高い建物が数キロ先だろうか、見える。BT Towerだろう。あと数時間後にはロンドンを電車で発って訪問先に向かい、夕方には大陸へ。数年ぶりにロンドンに来ながら、ロンドンを見ることなく去る。

 ホテル出発前のほんの十分程度だが朝のハイドパークを歩いた。一歩足を踏み入れただけで緑の木々と芝生が目の前に広がる。なんと気持ち良い事か。ほんの少しだけでも立ち寄れた事で満足。軽い息をはきながら朝のジョギングをする人達、なぜか女性が多い、が目立った(後で思ったが、イギリス人全般、益々肥満が増えているような気がした。)Padington駅まで歩いてSouthwalesへ向う。

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2007/07/15

天霧茶(台湾)

 台湾の高地梨山霧社で栽培された天霧茶の春茶を味わう。何と良い香りだろう。香りと味が絶妙の組み合わせで、別世界に来たような気持ちになる。穏やかな気持ちになる。緩やかに味わって飲む。

 お茶は発酵の度合いによって、緑茶、白、黄、青、紅、黒茶と分けられるが、この天霧茶は青茶(半発酵茶)。製造方法は、萎凋(茶葉をしおらせる)、揺青(大きな竹製の籠で揺すりながら香りを引き出す)、殺青(茶葉の発酵を止める)、揉捻(茶葉を揉む)、乾燥などの工程を経て創られるそうだ。茶葉は明るめの濃緑で丸まっている。

 こんな茶を午後ゆったりと味わう時に至福を感じる。

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2007/04/29

元気なシンガポール

 シンガポールとシンガポール人が元気だ。一時期、中国がWTOに加盟した頃、中国や香港との競争で経済が地盤沈下するのではと懸念された時期があったが、シンガポールは、世界の物流センター、金融センター、更には新技術のセンターとして発展しつつある。今から5年前と今日の対香港ドルの為替レートを比較すると、0.2314→0.1939SGD/HKDと19%価値をあげている。国際通貨取扱高では、近く東京を追い抜き、ニューヨーク、ロンドンに次ぐ世界第三位になるとシンガポール人のYさんは自信をもって語っていた。

 シンガポールは、来年にはF1レースを誘致するそうだ。何でも夜、街中を走らせるらしい。その時間はヨーロッパは午後、視聴率や国のPRも兼ねる事を考えている。夜のラッフルズホテルの前をF1が爆走するなど想像するだけでわくわくする。また、09年には、カジノとユニバーサルスタジオが開かれるそうだ。シンガポールは、美しいけれど堅いビジネスオリエンテッドの街から、エンターテイメントも備えたワールドシティを目指しているらしい。

 また、シンガポールは世界中の頭脳の集積を進めている。特にバイオサイエンスの集積を進めている。世界中の優れた研究者・科学者に魅力的な研究環境を提供し、呼び集めている。日本の癌研究の第一人者もシンガポールに移ってきたそうだ(日本の研究マウスも一緒に移住してきたよ、とあるシンガポールの友人が言っていた)。また、優秀なスポーツマン・ウーマンも集めている。既に何人かはシンガポールが国際大会で優秀な成績を残す事に貢献しているそうだ。

 人口が少ないせいもあるが、国を開く事・世界から人材を集める事が成長の原動力と認識し、戦略的に動いている国、シンガポールの成長から今後も目を離せない。出会ったシンガポール人が皆、自信を持って、シンガポールはこれからも開かれていく、成長していく、と言う事に印象深かった。

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2007/04/22

台南とウランバートルと黄砂 (台湾)

0704tainan1_1  新幹線台南駅で降りた。台南市内のホテルまではバスを選んだ。近くに居た同じ位の世代だろうか男性にホテルまでのバスを尋ねたところ、自分の家も同じ方向だから一緒のバスに乗ったらよいと言ってくれた。

 彼と話をすると、何でもモンゴルのウランバートルまで出張し、ソウル経由で帰ってきたとの事だった。一体何の仕事だろう。尋ねると、ウランバートルで環境・黄砂に関する学会があり、それに出席してきたとの事だった。世界から20名程度が、ウランバートルのホテルに集まり討議をしたそうだ。台湾からも2名、日本からも気象庁の研究者が来ていたとの事。

 黄砂の発生源は、モンゴルや中国の砂漠で、特に春に、大量の砂が嵐で巻き上げられ、風に乗って、大気汚染物資とともに中国、韓国そして日本に流れてくる。知らなかったが、台湾にも黄砂が飛来するそうだ。黄砂の原因は、砂漠化とも密接に関係していると言われ、それは、農作物や健康に被害を与える今や最も重要な東アジアの環境問題の一つになっていると言える。

0704tainan2_1  彼が言うに、ウランバートルでは、人民元と米ドルが通用する一方、クレジットカードやインターネットはまだ使えないそうだ。若い人は、ロシアの影響が永い間強かった為、箸が使えず、ナイフとフォークを使って食事をすると言っていた。私はまだ足を踏み入れたことがない土地だが、その大陸内部じの都市で世界の学者が 集まり、黄砂・環境問題を議論する、少しでも交流が進み、問題の解決に各国が協力して取り組む機運が高まればと思う。彼のお陰で無事着いた台南の高層ホテルから街を眺めながらそう思った。

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台湾新幹線に乗る(台湾)

0704taiwanshinkansen_1  日曜日の午後12時15分、台北駅地下のホーム(台湾では”月台”という)から、左営行411号に乗って台南に向った。初めて台湾高鉄の新幹線に乗車した。白とオレンジ色の車体。日本の新幹線700系と殆ど同じ車両。グリーン車はビジネスクラスと呼んでいたが。板橋駅を過ぎると新幹線は地上に出る。外は雨曇り空。始めは比較的空いていたが、板橋駅、桃園駅、新竹駅と過ぎるに従い人が増えた。日曜日であり、背広を着たような会社員は見ない。友人や夫婦連れ、子供連れと普通の人達。台北から台南まで、2時間5分、1350NTドル(約5000円)。

0704taiwanshinkansen2_1  台中を過ぎると、空は晴れてきた。目の前に水田が広がる。既に田植えは終わり、元気そうな緑色の稲が水田全体に揺らいでいる。夏の日本の景色と似ている。時折、椰子の木と中国風寺院が見えるので、ここが日本でない事が分かる。いつもは、高速道路で台南に向っていたため、周りの景色に気づく事はなかった。

 時速270キロ近く出している事を車内の表示板が示していた。好天の下、乗車した台湾新幹線は、静かに高速で走り続ける。日曜日の昼下がり、いつの間にかうつらうつらしていた。

0704taiwanshinkansen3_1  まもなく台南着という車内放送で目が覚めた。台南駅に静かに滑り込む。自分が降りるのと入れ替わりに、台湾人の親子連れの団体が乗り込んだ。左営まで残り15分の旅だが、開業したばかりの新幹線、日曜日、ちょっと楽しみに乗ってみようというのだろうか。ホームから離れていく新幹線を見送りながら思った。

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2007/02/25

春節の祝いの言葉

 先週の日曜日(2月18日)は、春節 Chinese New Year 。アジアでは、中国、香港、台湾、韓国、ベトナム、シンガポールのあちらこちらで新年の祝いが行われました。ようやく次の月曜日から仕事が動き出すところも多いようです。

 多くの年賀状をアジアの友人からもらいました。新年の祝い言葉、どんなものがあるかカードから抜き出して整理してみました。めでたい漢字の言葉集になります。日本の「迎春」や「謹賀新年」という自然、客観的な表現に比べると、如意、快楽、心想事成、招財、富貴など現世的、主体的な表現が多いように思います。

恭賀新禧 敬祝如意
新年快楽 事事如意
新年快楽 吉祥如意
四季平安 吉祥如意
心想事成 萬事如意
佳節快楽 新年如意
迎春納福賀新年 吉祥如意歳平安
招財進寶
諸事大吉
鴻運連年
富貴平安

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2007/02/10

シンガポールの少子化対策

  マレーシアが向こうに見えるジョホール海峡に面するヨットハーバーで海を眺めながら夕食を食べる。今日の夜行便で日本に帰る最後の夕べ。暖かな風に吹かれているのが気持ちが良い。シンガポール人のS君とその日本人の上司Kさんと一緒に会食。

Photo  S君にまもなく第2子が生まれる話題になった。柳沢厚労大臣の発言で日本の少子化問題が最近クローズアップされているが、シンガポールでも同様に少子化が急速に進み問題となっており、その対策が行われている。彼曰く、子供が生まれるとベビーボーナスとして、一人当たり3万シンガポールドル(約24万円)が分割で支給されるそうだ。また、貯蓄補助制度があり、第2子からは親が子供のために貯蓄する額と同額(上限6万シンガポールドル)の補助があるそうだ。第3子の場合は上限9万シンガポールドル。S君の場合は第2子だから、彼はベビーボーナス3万ドル+貯蓄補助上限6万ドル、彼はそれを3+6と呼んでいた。

 子供が少ない社会は労働人口減少、高齢化、それに社会の活力も失われる。韓国でもその話題があったがアジア全体で同様の問題が急速に進んでいる事を実感した。

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2007/01/14

李選手 (Seoul, Korea)

話題はスポーツに。

 最近、関西に住んでいるせいか、巨人の動きはあまり関心がなく、昨季、李承燁選手がホームラン41本でセリーグ2位ということを知らなかった(1位は中日のウッズ選手47本)。何でも、この2人は、韓国リーグ時代もホームラン王を争っていたとの事。李承燁は三星ライオンズで、ウッズは斗山ベアーズでホームラン王に輝き、またそれぞれのチームの優勝に貢献している。その2人が韓国でのホームラン競争を日本でも展開していると話題になったそうだ。

 ホームランアジア記録を持つ李選手は、当然に韓国の大スターで、韓国のTVも巨人戦全試合の放映権を持っており、韓国にいる李選手のファンは勿論、巨人ファンの日本人もその恩恵にあずかっている。阪神ファンのNさんは、李選手が阪神にいればとぼやきながらカルビを”つつく”(という表現が正しいかわからないが)。

 先日、李選手の母親が亡くなられた時、李選手は、今年は必ず巨人を優勝させると亡き母に誓ったとの事。韓国では、李選手は有言実行の男と言われ、期待は高まっている(阪神ファンの私にとっては困った事だが)。韓国では李選手のいる巨人ファンは大変多いそうである。日本でも、大リーグで活躍する松井やイチローの観戦ツアーがあるが、韓国も李選手観戦ツアーがある様子。腕一本で国境をまたいで活躍する選手は、どの選手も魅力的だ。

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韓国の亥年 (Seoul, Korea)

 新年早々、韓国に行く機会があった。韓国人のB君、駐在している日本人のNさんと、夜のソウルでカルビを食べながら最近の韓国のよもやま話をした。

 韓国では昨年は結婚ラッシュ。2006年は農暦(旧暦)では、7月が2回(閏月)ある年で、珍しい、といっても数年に1回あるのだが、韓国では、どういうわけか昨年は非常に珍しい年ということで縁起が良いという話になり、結婚ラッシュになったそうだ。そういうY君も昨年結婚している。そして、今年は、600年に一度の珍しい亥年という事になっているらしく、亥(猪)は金運を呼び、この年に生まれた子供は一生お金には苦労しない(*1)などと言われているらしい。だから今年は、昨年の結婚ブームに続き、今年はベビーブームになるはずとの事。10干12支60年還暦(*2)というのはわかるが、600年に1度の年など聞いたことがないが、まあ韓国ではそういう事になっているらしい。(帰国してから、ちょっと調べていると-「双春年から黄金の亥年」という記事に出会い、同じような事が書かれていた)

 もっとも、結婚ラッシュ、ベビーブームなどと書いていると、随分、日本と少子状況と違うなと思うのだが、実は、韓国は日本以上に少子化が急激に進み深刻な問題になっている。2005年の合計特殊出生率は1.05人で日本の1.26人を遥かに下回る。女性の社会進出に加え、高騰する住宅コストと教育費などが背景にあるらしい。確かに韓国、特にソウルで家を買うのは普通のサラリーマンでは難しいとか。
 結婚式の話になる。B君の結婚式には、200人以上が来たそうだが、これは少ない方で300人、400人もざらにあるとか。韓国の人の結婚式は、遠い親戚まで、例えば、姉婿の親戚とか、とにかく日本の感覚では遠い関係の親戚まで出席すると。ある釜山出身の新郎は、釜山から大型バスを何台も連ねて親戚と友達をソウルまで呼び、式を挙げ、同じ日に泊まらず、また釜山に皆で帰って行ったとか。ただ、日本のように席に着いて数時間の宴で、スピーチがある、引出物を全員に準備するというものではなく、もっと簡単だそうだ。来宴者はお祝い(日本円5000-15000円程度とか)を渡し、ホストは食事券を渡して30分程度の会だそうだ。
 集まる人数がこれだけ多いと、当然ながら、参加する側もその回数は多くなる。適齢期の人達は毎週、友人の結婚式という月もあるようだ。

 結婚を決める。後で聞いたのだが、占いが結婚の行方を左右する事もあるとか。親が必ず子供の相手の占いをして、悪い目が出ると反対になる。実際、Nさんの韓国の知人(長男)で、親が有名な占い師5人に観てもらったところ、5人とも結婚させない方が良いと言われ、親が反対。親が反対なら子供は逆らえず、結局破談になったとか。ただ、本人もまた相手方も親の言う事として自然に納得したとか(本音かわかりませんが)。

 冠婚葬祭(*3)というのは、どの国でも最もその国の深い歴史・文化的「特色」が現れる。形態の後ろに潜むその国の文化や歴史を知る事はコミュニケーションを深めるうえで大切な事である。勿論、一つの事例でもってすべてを判断する事はできないが。、最近は、インターネットの時代、国による違いよりも、世代間の違いの方を感じるという人も多いかもしれない。国を越えて同じ世代同士が、最近の若いもんは。。などなどである。

*1 相信猪年生的孩子会帯来財富和好運
*2 天干地支一甲子
*3 婚喪喜慶

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2006/09/09

海苔を食べる国民

 これまた、韓国人のBさんと、韓国の岩海苔は旨いという話をしていた折、世界で海苔を普通に食べるのは日本人と韓国人だけという事を知った。主な生産地も日本と韓国だけと。成るほど、考えてみるとそんな気がする。

 アメリカ人は、海苔のあの「黒い」色に抵抗感があるらしい。米国に駐在した人に聞いたところ、そのお子さんが、弁当に海苔巻きを持っていったところ、アメリカ人の子供からからかわれたらしい。カリフォルニア巻き(カリフォルニアロール)の外側は白飯、中側が海苔になっているが、それは外側に海苔を巻くと食べる人がいなくなるからとの事。なるほど。

 中国人も海苔は基本的に食べない。ある知人が仙台に遊びに行った折、おみやげに大量の海苔をもらったらしいが、どうしたら良いか困ったとの事。日本のコンビニエンスストアが中国に進出したおり、やはり海苔巻きは受けいれられなかったうよう。

 食材の「色」というのも慣れがあるのですね。(見た目では、蛸や鰻の話はよく聞きますが)

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キムチと唐辛子 (韓国)

 韓国人のBさんと食べ物談義になった折、キムチと言えばあの赤い唐辛子だが、その唐辛子は、日本経由で入ってきたことを教わった。なるほど調べると、あの中南米原産の唐辛子が、ヨーロッパ、東南アジア、日本経由で韓国に渡ったようだ(なお、日本に唐辛子が持ち込まれたのは16世紀頃、ポルトガル人によってらしい。大航海時代が、食材の世界各地への伝播をもたらした訳だ)。それは豊臣秀吉の朝鮮出兵(壬辰倭乱)の頃16-17世紀という話だが、それ以前のキムチは赤くなかったらしい。キムチに唐辛子が用いられる頃より、多彩な薬味や野菜や塩辛などが加えられ、今日のような種類豊かなキムチに発展していったそうだ。

 時折、韓国に行くが、やはりキムチは韓国で食べるとおいしく感じる(これはどこの国の料理でも同じだが、なぜかその国で食べるのが一番おいしいと思う)。白菜キムチ(ペチェキムチ)、大根キムチ(カクテキ)、胡瓜キムチ(オイキムチ)が代表的だがその種類200以上あるらしい。
 「キムチとは、塩漬けされた主原料に、薬味類を混合、低温で生成を通し発酵した食品」と定義されているようだが、ビタミンを多く含むとの事。野菜に含まれるビタミンに加え、発酵過程で更に多くのビタミンが生成されるらしい。また知らなかったが、低カロリーで、ヨーグルトと同様に乳酸菌を多く含む食品だそうだ。韓国で、あまり太ったおばさんを見かけないのはそのせいか? (なぜロシアは多い?)

 TV番組「チャングムの誓い」を毎週見ているが、料理・食材の話は興味深い。料理・食材はその国の文化に深く関わると同時に、歴史の中で、外国の世界の食材を取り込みながらも発展してきているわけだ。

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2006/04/08

黄砂飛来

060408kousa  黄砂飛来。

 池田五月山公園に桜を見に行った。山の中腹の秀望台から大阪、尼崎、西宮、宝塚、猪名川の山を望む。一面霞んでいる。霞ではなく、その規模から黄砂飛来と分かる。5km先が見えない。午後になっても薄暗い空。

 ネットで調べると、今日は黄砂が西日本全体に飛来している事がわかった。名古屋では今年初めて黄砂が観測された。4000km以上離れた中国大陸のタクラマカン砂漠、ゴビ砂漠の大量の砂塵が、偏西風に乗って日本に届く。その飛来回数は、年を追うことに増えているそうだが、中国での耕地拡大、砂漠化などがその一因とも言われ環境問題化している。

気象庁黄砂情報 http://www.jma.go.jp/jp/kosa/index.html

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2006/01/22

ラストエンペラーの弟 相依為命

 「相依為命」、ラストエンペラーの弟「愛新覚羅溥傑」が娘嫮生さんに宛てた手紙の中に記した言葉だったと思う。”お互いに助け合い、関りあって活きる”、そんな意味だと思う。昨日見たNHKテレビの特集「わが父・溥傑 ~ラストエンペラーの弟・波乱の生涯~」の中で聞いた言葉。

 溥傑は、満州国皇帝溥儀の弟として、歴史に関わり、翻弄され、責任を負って生きる。1937年(30歳)日本の侯爵の娘嵯峨浩と結婚、同年日中戦争が始まる。1945年(38歳)日本の敗戦ともに満州国は崩壊、ソ連に捕らえられシベリアの収容所へ。後、1950年(43歳)中国に送還、1960年(53歳)釈放。その翌1961年、先に長女慧生(当時16歳)が周恩来首相に宛てた手紙が契機で連絡が再開していた家族(妻浩と次女嫮生、長女はその4年前に不慮の死)と16年振りに再会する。浩はそのまま中国に残り、溥傑と亡くなるまで中国で過ごす。

 歴史に翻弄された一人だが、困難な状況の中にも、家族、妻や娘への想い、愛情が支えとなっていた。「相依為命」、心から娘に伝えたかった言葉だと想う。

 震災の時に感じた「絆、助け合い」( http://hirodon.cocolog-nifty.com/dekakeyou/2006/01/11_8401.html )、李垠と方子の関係( http://hirodon.cocolog-nifty.com/dekakeyou/2006/01/post_372d.html )と、偶々か、最近感じた、「人」としての情感・生き方に重なる何かがあるような気がする。

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2005/12/29

客家4菜(台湾)

 台湾で板粽の入った料理を食べている時、代表的な客家料理って何だという話になった。そこにいた台湾人があげた料理は、
1、薑絲大腸 ジャンスダーチャン
2、客家小炒 クージャンシャオチャオ 豆干+葱+魷魚(イカ)+蒜(ニンニク) 
3、板粽 バンソン
4、米粉 ミーフン
の4菜だった。 米粉や板粽は誰でも知っているが、他の2菜も後で調べたら、成る程よく食べていた。伝統的な客家料理は、保存のために乾燥させた素材、高カロリーの炒めた料理、塩辛い料理が多く、ご飯と相性が良いそうだ。「高カロリー、塩辛、酸味、良香」の客家料理に注目したい。
jiansudachan
薑絲大腸 ジャンスダーチャン
kejiaxiaochao
客家小炒 クージャンシャオチャオ 豆干+葱+魷魚(イカ)+蒜(ニンニク)

ついでに他の客家料理で美味しかったもの、忘れられない味を、見つけたので以下に。
yenjiuxi
塩"火局"鶏 イエンジューシ ・・蒸し鶏に、「桔子醤(金柑ソース)」
honxiaotiban
紅燒蹄膀 ホンシャオティバン ・・ 黒豚もも肉、油で揚げて、煮込んで、蒸して 
lenchenyouji
冷泉油鶏 リンチェンヨウチ ・・ 冷製鶏肉と甘酸っぱい客家ソース
tanyuen
鹹湯圓 シェンタンユエン おもち、椎茸、長葱、挽肉、具だくさんのスープ
torinikuyakuzensoup
羊頭燉湯(鶏肉と羊の薬膳スープ)

台湾では「全家福」(中歴)で客家料理をよく食べる。

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2005/12/26

交流2題 中国->台湾、日本->台湾

1、中国大陸から台湾へのビジネス団体が増加している

 台湾を旅した際、宿泊した各ホテルで、いずれも中国大陸からの団体が来ていた。花蓮のホテルでは、広東省政府関係者と北京のビジネス団体、台北のホテルでも北京からのビジネス団体。台湾人ビジネスマンの中国大陸への進出は巷間よく伝えられる(*1)ところだが、一方、まだ基礎的な交流レベルだが、中国から台湾へのビジネス訪問も急激に増加しているのではないかと感じた。

(*1) 中国在住の台湾人は既に優に100万人以上。台湾の人口が2270万人である事からその多さがわかる。人口の約4~5%が中国に居る事になる。

2、日本から台湾への渡航者が初めて100万人を超えた

 最近、台湾を往復する機内では、特に女性の観光客が増えているように感じる。台湾の観光パンフレットも「***して綺麗になろう」などという女性向け文句が増えている気がする。女性客呼ぶには、食べても、エステしても、台湾式マッサージしても「綺麗になる」という言葉が魅力的なのだろう。
 ところで、2005年、初めて日本からの台湾への渡航者100万人を超え、110万人を超える見通しとの事。過去最高は02年の99万人だそうだが、その後SARS騒ぎなどで低迷、ようやく回復、増加してきた。日本人の海外渡航者は年間約1700万人、従って約7%程度が台湾行なる。一方、今年の台湾から日本への渡航者は、愛知万博効果などで、130万人程度か。交流の増加は、良かれ悪しかれお互いの理解を深める事、結局、文化は違っても、同じ人間という事がよくわかる機会を増やす、刺激的で良い事だと思う。

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2005/12/25

建国南路暇日玉市、忠烈祠、圓山大飯店(台湾)

台北散散歩歩2 ・・建国南路暇日玉市、忠烈祠、圓山大飯店

jianguoru  なんだこれは?よくもまあ、これだけの玉、アクセサリの数と屋台が並ぶものだ。毎週日曜日朝、建国南路の高架下の駐車場で開かれる「暇日玉市」の会場、といってもやはり駐車場だが、に入っての初めの印象。葉さんに連れて行ってもらった。何百という屋台が並んで、思い思いに玉を並べている。ごちゃごちゃ籠にいれてあるのもあれば、白い布の上に綺麗に並べているのもある。家内、玉のブレスレット10個買ったら5個サービス。子供達も友達に数百円程度のみやげを買った。本物か、偽者か、ガラス玉かプラスチック玉かよくわからないが、眺めながら適当に交渉するのがまた楽しい。

churetsusi  金さん夫妻と再び。
  忠烈祠、衛兵交代を子供に見せる。背筋をピンと張った姿勢、隙の無い服装、美しい歩き方、真剣な眼差し。人様の事は余り言えないが、だらしない服装の着方だけはやめろよ、と息子に言った。
 忠烈祠には、革命戦や抗日戦で亡くなった33万人余りの将兵が祭られている。

  園山大飯店。あの蒋介石夫人の宋美麗が建てたホテル。空港から台北市へ行く途中必ず目に留まる美しいホテルである。6-7年前だろうか、立ちyuenshan寄った時は、内部はどことなく古びた感じがしたが、今回見学しに入ると、改装されており綺麗になっていた。
 宋家3姉妹で有名だが、長女・宋靄齢は、財閥出身の孔祥煕の夫人となり最後は米国に渡る。次女・宋慶齢は、1912年辛亥革命を成功させた孫文の夫人、後に1949年の中華人民共和国成立の日、毛沢東らと共に天安門に立ち、国家副主席になり、中国で亡くなる。三女・宋美麗は、内戦に敗れ、台湾に逃れて中華民国総統となった蒋介石の夫人。清の滅亡、革命、日中戦争、国共内戦、中台対立と、近現代の激動期をかけぬけた主役達の夫人の心の内を思いながら、園山大飯店を眺めると感慨も新たである。

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2005/12/24

太魯閣峡谷を行く(台湾)

 右手に遙か広がる太平洋の水平線は既に夕焼け空。私たちは、花蓮発高雄行北廻り特急自強号に乗って台北に向かっている。軽い疲れを感じながら、今日の太魯閣峡谷ツアーを思い出す。
hualien1  太魯閣峡谷行は台湾人のツアーに入った。シンガポールから来た若夫婦と10歳の娘とその親戚一同、台中から来たカップル、花蓮はもう3回目という壮年夫婦とその娘、そして私たち家族、合計15人。朝8時半にホテルを出発、参加者を各ホテルで拾って花蓮市から国道9号を北へ太魯閣に向かう。快晴、青空が広がる、左手にはすぐ山が迫り山頂には雲が掛かっている。
 太魯閣峡谷は、大理石の渓谷、約4百万年前にユーラシアプレートとフィリピンプレートがぶつかりあって台湾ができた時に一緒に生まれた。中央山脈に源を発する立霧渓の水が永い間に大理石の岩を侵蝕して作り上げた大峡谷。新城で左折し山に入っていくと、すぐ太魯閣国家公園の管理処があり、そこで峡谷の歴史や地勢のガイドが展示されているのを見る。自然と動植物に恵まれ、また原住民アタイヤル族が暮らしていた土地という事が分かる。園内には標高3000m以上の山が27もあるそうだ。
 初めに布洛湾という処に立ち寄った。広々とした緑の芝生が広がり、向こうにこれから入っていく山々が見える。少しアルプスの雰囲気を思わせる。写真を撮ったりしながらくつろぐ。春、白い大きな台湾百合がそこかしこに咲くらしい。
taroko10  燕子口の辺りではもう断崖が屹立する間の道を走る。永い間の風雨の浸食で作られた大理石の無数の穴に季節になると燕が巣をつくり、飛び舞う事で燕子口という名前がついたそうだ。勿論、今回は既に(台湾の)冬、燕を見る事はなかった。この場所は、太魯閣峡谷で対岸まで約16mと最も距離が近いところ。遥か眼下には立霧渓の激流が低いうなり声を上げて流れていた。
 緑水というところでか、良いハイキングコースという事で山道約2kmがツアーに入っていた。途中岩のトンネルや眼下に峡谷を見る幅1mもない道をツアーの人たちと歩いた。石ころの多い道で革靴だったので疲れる。林道沿いをかばまだらやしじみなど蝶が多く舞う。写真を撮ろうと近づくがうまくいかない。季節にはもっと飛翔している事だろう。
 峡谷の終点の天祥、入り口から約20kmのところにあるそうだが、そこの天祥晶華飯店で昼食。ここは以前アタイヤル族の集落があったらしい。今は豪華なホテルができて、昼食時のレストランでは台湾人、西洋人、日本人などの観光客で賑わっていた。ホテルの前で流れていた二胡の何となく太魯閣の山に響くような音に誘われて原住民演奏家の「雪山飛胡」というCDを買う。
taroko20  帰路、九曲洞という手で大理石の山を掘りぬいた連続するトンネルを歩く。屹立する断崖絶壁が自分の真上と目の前でそびえる。垂直に空に向かう頭上の絶壁を見ていたらふっと眩暈を覚える。眼下の立霧渓から頭上遥かの山上まで千メートル以上はあるだろう。一気に駆け登る石の絶壁が立つ。太魯閣峡谷で孫悟空の映画のロケをしたそうだが、さもありなん、雲海あり、絶壁あり、この世と思われない風景に満ちている。写真を撮ったり、眺めたり、同行の参加者と喋りながら約1km歩く。
 太魯閣峡谷最後は長春洞、この台湾の中央山脈を越える中部横貫道路工事で212名が亡くなったそうだが、その殉職者を祭っている。彼らの力なくして、こうした美しい風景を見る事ができなかった。祠の前に広がる立霧渓はここでは広い瀬になっており、先ほどまでの激しい様相から穏やかな流れになっている。彼らの魂もその風景に心安らぐ事だろう。 
sichiseitan  ミニバスは太魯閣峡谷を出る。今日の疲れに思わずうとうとしている。ツアー最後に留まったのは七星潭。太平洋に面して玉石の浜がずっと広がる。子供たちと大理石!といいながら綺麗な石を集める。寄せる波の音に耳を傾ける。 
 花蓮駅でバスを降りる。顔見知りになったツアー仲間に「再見!」と行って別れを告げる。台中から来たカップルにもらった家でとれたというざぼんをもらった。甘くて旨かった。窓の外は既に暗闇。特急自強号は、クリスマスイブ、台北に向かって走っている。

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2005/12/23

台北3廟を歩く (台湾)

 晴天の午前、行天宮(シンテンコン)、孔子廟(コンツーミャオ)、保安宮(バウアンコン)と歩いた。

一、行天宮
sintenkon  朝、始めに行天宮に行く。民権東路と松江路の賑わう交差点のところに、華麗な廟が現れる。徳を施し、世の人を救ったと伝えられ、人々に崇められている三国志の関羽(関聖帝君)を祭る行天宮。台湾の寺廟は特定の宗教宗派の為というより、いろいろな教えが混ざりありながら敬うという自由奔放なところがあるようだ。行天宮案内書でも「行天宮は儒、仏、道三教の聖賢教理を伝承し、「問心敬神」の理念の宣教に尽力しております」とある。
 入口の説明を眺めていると、なんとなく良い言葉があったので、書き留めた。
” 禍福無門 惟人自召
  人心轉處天心轉        ”
  行好事、做好人、説好話
 廟からは、教の声が流れていた。私は中国語は分からないが、分かる人には、ごく普通の表現で「人々に健康を、世の中に平和を」と何回も繰り返しているらしい。日本の寺でお経を聞いても何を言っているかわからない。やはり、誰にでもその時代の人に教えをわかりやすく伝えてほしい。香を持って立って祈る人もいれば、ひざまずいて祈る人もいる。廟の中には赤い顔をした関羽が居た。お祈りしている人の中に、2つの木の板をころがしている人達がいる。聞くと、何かの重要な判断、例えば、今家を建てたほうがよいか否かなど、を祈る心の中でつぶやきながらこの木の板を投げると、同じ向きが出ればYes、違ったらNoなどとの神様の判断が出るらしい。何人かがちゃりんちゃりんと投げていた。若いカップルがいた。女性が投げた後、悲しそうな顔をしていた。期待していた神様の答えがでなかったのだろうか。

二、孔子廟
kousibyou  重慶北路と庫倫街の角にある孔子廟は、台北市内の喧騒を忘れるように静かに佇んでいた。門前には、孫を連れた母親と老人が、木漏れ日の中、ベンチに座って孫達を眺めている。生い茂る木々には栗鼠がいる。
 儀門をくぐりぬけると、堂々とした孔子廟があった。一般の台湾の寺廟に見るようなけばけばしさはなく、落ち着いた荘厳な雰囲気。造りは全く違うが、唐招提寺の雰囲気を思い出させる。前に広がる石畳には誰もいない。回廊を歩く。 屋根の上の装飾が綺麗で写真を撮る。写真室では、現台北市長の馬さんが祭礼を執り行っている写真があった。毎年、孔子の誕生日の旧暦9月28日の「孔子節」に台北市長が祭官長を務めるそうだ。伝統の雅楽と祭礼の様子は一見の価値とガイドブックに書いてあったが、その様子が写真で展示されている。孔子廟には、位牌の上に「有教無類」の文字。意味がわからなかったが、後で調べたところ、論語の中の「子曰く、教え有て類無し(人間の種類による違いは無い。教育の違いだけである)」という事だった。教育の重要性を孔子は語っていた。

三、保安宮
bouankon  孔子廟のすぐ向かいに、台湾で最古の寺廟の一つ保安宮がある。1830年にできたそうだが、医療、長寿の神、保安大帝を祭っている。平日の朝、孔子廟と同じように人が少なかったが、こちらは孔子廟と違い、豪華絢爛。このあたりは、18世紀、淡水河と基隆河が合流するところで、水上運輸の中継地点と栄えた、台北市で最も歴史のある地域だそうだ。

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台北3廟を歩く (台湾)

 晴天の午前、行天宮(シンテンコン)、孔子廟(コンツーミャオ)、保安宮(バウアンコン)と歩いた。

一、行天宮
sintenkon  朝、始めに行天宮に行く。民権東路と松江路の賑わう交差点のところに、華麗な廟が現れる。徳を施し、世の人を救ったと伝えられ、人々に崇められている三国志の関羽(関聖帝君)を祭る行天宮。台湾の寺廟は特定の宗教宗派の為というより、いろいろな教えが混ざりありながら敬うという自由奔放なところがあるようだ。行天宮案内書でも「行天宮は儒、仏、道三教の聖賢教理を伝承し、「問心敬神」の理念の宣教に尽力しております」とある。
 入口の説明を眺めていると、なんとなく良い言葉があったので、書き留めた。
” 禍福無門 惟人自召
  人心轉處天心轉        ”
  行好事、做好人、説好話
 廟からは、教の声が流れていた。私は中国語は分からないが、分かる人には、ごく普通の表現で「人々に健康を、世の中に平和を」と何回も繰り返しているらしい。日本の寺でお経を聞いても何を言っているかわからない。やはり、誰にでもその時代の人に教えをわかりやすく伝えてほしい。香を持って立って祈る人もいれば、ひざまずいて祈る人もいる。廟の中には赤い顔をした関羽が居た。お祈りしている人の中に、2つの木の板をころがしている人達がいる。聞くと、何かの重要な判断、例えば、今家を建てたほうがよいか否かなど、を祈る心の中でつぶやきながらこの木の板を投げると、同じ向きが出ればYes、違ったらNoなどとの神様の判断が出るらしい。何人かがちゃりんちゃりんと投げていた。若いカップルがいた。女性が投げた後、悲しそうな顔をしていた。期待していた神様の答えがでなかったのだろうか。

二、孔子廟
kousibyou  重慶北路と庫倫街の角にある孔子廟は、台北市内の喧騒を忘れるように静かに佇んでいた。門前には、孫を連れた母親と老人が、木漏れ日の中、ベンチに座って孫達を眺めている。生い茂る木々には栗鼠がいる。
 儀門をくぐりぬけると、堂々とした孔子廟があった。一般の台湾の寺廟に見るようなけばけばしさはなく、落ち着いた荘厳な雰囲気。造りは全く違うが、唐招提寺の雰囲気を思い出させる。前に広がる石畳には誰もいない。回廊を歩く。 屋根の上の装飾が綺麗で写真を撮る。写真室では、現台北市長の馬さんが祭礼を執り行っている写真があった。毎年、孔子の誕生日の旧暦9月28日の「孔子節」に台北市長が祭官長を務めるそうだ。伝統の雅楽と祭礼の様子は一見の価値とガイドブックに書いてあったが、その様子が写真で展示されている。孔子廟には、位牌の上に「有教無類」の文字。意味がわからなかったが、後で調べたところ、論語の中の「子曰く、教え有て類無し(人間の種類による違いは無い。教育の違いだけである)」という事だった。教育の重要性を孔子は語っていた。

三、保安宮
bouankon  孔子廟のすぐ向かいに、台湾で最古の寺廟の一つ保安宮がある。1830年にできたそうだが、医療、長寿の神、保安大帝を祭っている。平日の朝、孔子廟と同じように人が少なかったが、こちらは孔子廟と違い、豪華絢爛。このあたりは、18世紀、淡水河と基隆河が合流するところで、水上運輸の中継地点と栄えた、台北市で最も歴史のある地域だそうだ。

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2005/12/22

鼎泰豊、台北101大楼(台湾)

台北散散歩歩1 ・・鼎泰豊、台北101大楼

tyntaifong  知合いの金さん夫妻に連れて行ってもらったのが「鼎泰豊(ティンタイフォン)」。台湾小籠包の代名詞。これまで何回も台湾に仕事で来ていたが、プライベートで来たこの機会に初めてこの有名な店を訪ねることができた!口に含むとあの肉汁がじゅわーっと広がる。この旨さがたまらない。食べる食べる。。。 蟹肉がはいった「蟹粉小包(シエフェンシャオバオ)」、ちんげん菜のみじん切りがはいった「菜肉蒸餃(ツァイロウジェンジャオ)」、こし餡のはいった「豆沙小包(ドーシャシャオバオ)」。。。子供達と次々と食べた。旨いものを食べれると幸せ。ありがとう金さん。

101  お腹が膨れた後、夜の台北市をドライブ。季節はクリスマス、新しく再開発された信義区の街は電飾の光であふれている。高さ505m、地上101階、世界一高い「台北101大楼」に来る。クリスマスツリーが101大楼の窓に現れている。ショッピングモール購物中心の前の大きなクリスマスツリーと2匹のトナカイの前で子供と写真を撮る。まだ展望台が開いている事がわかり、5階の展望台入口から、有名な時速60kmの高速エレベータで一気に頂上へ。広々とした展望台から見た夜景は、まるで飛行機の上から眺めているような素晴らしい夜景だった。基隆河と淡水河が東と西から流れ込み台北市の北西辺で合流する。河の場所は漆黒となっているが、その内側に壮大な明りの世界、人口約270万人の台北市が広がる。眼下には世界貿易中心、周囲の新しいショッピングモールの灯りがひときわ明るい。暫く見とれていた。基隆河の向うには北方の丘陵地さらに陽明山と広がるがその山腹にも灯りがともる。クリスマス直前の台北の街は灯りの中。

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2005/12/20

中国人民元の世界化とGDPの拡大

 中国政府が今年7月発表した「人民元の対ドル為替相場切上と通貨バスケット方式移行」は、中国経済が世界経済の中に組み込まれていく過程の中で避けがたいものであり、一見、中国側は躊躇しつつ進んでいる気配である。しかし、その経済パワーは、人民元を長期的には米ドル、ユーロと並ぶ世界通貨に成長させる要素を含んでいると見るべきだろう。既にベトナム、モンゴル、ミャンマーや韓国・東南アジアでも人民元は受け入れられはじめている。香港ドルの広東省での地位は低下しており、香港・マカオでの人民元のポジションは上がっていると聞く。
 そして、台湾でさえ、現在の金門・馬祖限定からその全域で人民元と台湾元の自由兌換を認めるという動きが出ている。
 今日の夕刊に、中国のGDPが1兆9316億ドル(16兆元)、世界6位になったとある。その上にいるのは米日独英仏だけである。今後、中国が年率8%、他の上位国が年率2%の成長と仮定すれば、中国は、2011年にドイツを、2020年に日本を抜き世界第2位の経済規模となる。2016年頃には、現在の日本と同じ規模になると計算される。元の価値が上がればドルベースではさらに早まる可能性がある。
 当面、中国経済は、プラス要因として所得の向上に伴う内需拡大と競争力強化による輸出拡大、リスクとして環境問題による成長制約と政治・資産バランスの不均衡化を抱えながら、変動蛇行しながら成長していくと予想する。周りの国、世界各国はこの巨大な社会といずれにしても向き合っていかなければならないわけである。

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2005/10/16

掛け軸と裏千家と横浜と上海

kakejiku0510   Mのお茶の先生が気に入った中国の水墨画の掛け軸を所蔵していた。しかし、その掛け軸に書かれている文章がどうしても分からない。その為、お茶会で使えない。何とかその言葉の内容を知って、お茶会で使ってみたい、先生はそう思っていた。
   その掛け軸は、お茶の先生が10数年前、当時の中国の若手の画家から貰ったものだった。茨の枝から山鼠が霞んで降りてくる様子が描かれていた。字がかなり達筆なのだろうが読めない。いくつかの文字が分かったが、全文の意味がとれない。Mは知り合いの書道の先生に尋ねてみたが、すぐにはわからず調べてみると。Mは、横浜に住む知り合いのWさんに電子メイルで掛け軸の写真を送って尋ねてみた。Wさんは、北京出身で日本人と結婚している。若いけれどもいろいろな事を良く知っている。お茶にも興味があった。彼女は少し解読したが、さらに中国に住む友達に尋ねてみると言った。
  その掛け軸の画家は、詹仁左と言った。インターネットで調べてみると、1954年生まれ、上海交通大学芸術系副主任で、クリントン大統領が訪中した折、本人の前で「春到人間萬物鮮」という絵を描き贈った事で有名だった。先日も台湾の親民党主席宋楚瑜が訪中した際、汪道涵が彼の「水墨玉蘭」を贈ったという記事が出ている。そんな有名な人の絵だとはとうてい知らなかった訳だが、ただ、その作品が気に入って、お茶会で使いたいと思われている訳である。そんな時、Wさんの友人から情報が入ってきた。解読できたという。内容は、以下の通りだった。

 荊棘藤蔓行路難 一煙山鼠霄云来  海上詹仁左写
(茨の枝と藤が絡み合う難道で、煙の如く雲より舞い降りた山鼠)

 これで、この掛け軸がお茶会に使える日もすぐだろう。

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2005/09/22

中秋節(台湾)

050918  春節、端午節と並んで中秋節は台湾の大切な日である。今年は9月18日が中秋節だった。人々は御世話になった人達に月餅を送る。企業もいくらかのお金を紅包に入れて従業員に渡す。台湾では、最近は家族や仲間と一緒に家先でバーべキューをするのが流行りだそうだ。その日、私は、出張先の台湾のとある町から月を眺めた。満月の月が綺麗に見えた。遠くに住む家族や友人が同じ月を見て想いを繋ぐ日、何とも素敵な風習だと思う。街に出ると、いつものように家族や友達同士、カラオケ、食事、買い物と多くの人出で賑わっていた。

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2005/08/03

上海小龍包

xiaoronpo xiaoronpo2

 どうしても上海で食べたかった小龍包。事前調査も無かったが、泊まったホテルで、とにかく上海人が自慢する一番美味しい小龍包を食べたい、と言ったところ、紹介されたのが豫園の小龍包店だった。後で「豫園」は上海に来た人は必ずといってよいほど寄る観光スポットと知ったのだが、その時は知らず、ただタクシーに「豫園」までと言って向かった。降りたところ、観光客らしい姿がそこここに溢れていた。そこが有名なスポットらしい事はその様子からすぐに分かったが、肝心の店が分からない。その辺の店に入っては一番美味い小龍店はと聞くと、大体同じ方向を指さす。次第に近付いて、ついに辿りついたのが南翔饅頭店だった。階段から待つ人があぶれ出していたが、ここまで来た以上食べてやろうと思い、粘り強く待ち、ついに階段を登り右側の部屋に入り(これも後で知ったのだが長興楼という部屋)、席に着いた。相席で向側には中国人の男女4人、聞くと北京から仕事でやってきたTV局関係の若者達だった。彼らがうまそうに食べているのを見て、それと同じものといって注文。出てきたのが、写真にある6個入りの小龍包「特性蟹肉小龍」。きれいな白い皮、きゅっと上手に巻かれている。その天井から中の身がそっと覗いている。おそるおそる一口、口に入れる。美味い!!!!なんとジューシーで、優しい、心地良い風味だろうか。温かい香ばしい肉汁がじゅわっと出てきて口の中に拡がる。そして身の蟹肉卵がこれまた味わい深く、食べている事の心地よさ。これまでの中で間違いなくNo.1の小龍包である。食べ物で幸せを感じる事など余りないが、この時は本当に食べれて幸せだと思った。6月の上海でのある週末の事。

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2005/03/17

スイス チューリヒ湖とアルプス

050317_alps_over_zurich_lake 本当に天気の良い、気持ちのいい日でした。チューリヒ湖の向うにアルプスの山々が望めました。むこうの山麓では、春の訪れとともに、雪が少しずつ溶け出し、雪の間に小さな水の流れを形成し、次第にまとまって小川になり、水の音を鳴らしながら、やがてチューリッヒ湖に注ぐのでしょうか。

向こうは、まだ訪ねた事はありませんが、ダボスやサンモリッツの方向でしょうか。

2005年3月

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トリフリゾット Truffe-Risotto

truffe-risotto そもそも食には余り詳しくない。知人と一緒に食事しているときに注文したのがトリフリゾット。さすがにリゾットは分かっていたが、トリフが、キャビア、フォアグラと並ぶ世界3大珍味の一つと教えられた。旨いと感じるには私にはまだ日が浅いが、その独特な香ばしさはわかった。

 黒トリフは料理の「黒ダイヤ」と呼ばれるそうだが、茸と同じように菌が繁殖したもので、土の中に埋もれている。このトリフを探すのに訓練されたメスの豚を使うそうだが、そのある種の匂いがメス豚を刺激するらしい。キャビアやフォアグラと違って、香料としての使い方が中心のようですね。

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2005/02/27

韓国 蔘鶏湯(サンゲタン)

0502sangetan ソウルの専門店「論峴蔘鶏湯」(江南区)でサンゲタンを食べた。
暖かいスープの中に丸鶏(若鶏)が。お腹の中に、もち米、なつめ、高麗人参等を詰め、じっくり煮込まれている。この店のサンゲタンは、あっさりしたシンプルな味。身体は十分に温まり、冬のソウルの街へ、午後の仕事に出発した。

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2004/11/27

ドイツ 初冬のフランクフルト(朝)

0411frankfurt1 11月末、初冬、土曜日、どんよりと垂れ込めた空、雨が今にも降り出しそうな天気。フランクフルト、早朝、マイン川沿いの遊歩道を歩く。人影は少ない。落ち葉を踏みしめる音、川を走る船の音。時折、横の車道を走りすぎる車の音。犬を連れた老婦人がゆっくりと黙って通りすぎていく。マイン川に架かる橋を見つけた。地図を見ると、ホルバイン小橋(Holbeinsteg)とある。車は通らない、人だけが渡る橋。それを渡る。

 博物館通りの前の路上で、ガラクタ市が始まる。0411frankfurt10411frankfurt1古びたオーディオ機器、古ぼけた小物、金物、カセットテープ、ゲーム機、何でもあるようで、これといって興味を引くようなものもない。手頃な古着を探す男達、水道の蛇口を売る女。。。中東系や東欧系の人種も多い。テープから流れる音楽に中東の音色。小雨が降り始めた。肌寒さが増す。暫くそこに集まる人を眺めていた。

0411frankfurt2

 ウンターマイン橋(Untermainbrucke)を渡り、再び元来た北岸に戻る。フリーデン通り(Friedensstr.)沿いの店では、早くもクリスマスの飾り付けを始めている。その装飾一つ一つに工夫と丁寧さと豊かな情感。光の加減を上手に使う。細やかさがあり、ほのぼのとさせ、思わず暫く見惚れる。多くのヨーロッパの店舗のウィンドー一軒一軒に、その店主の個性と粋を感じるのは私だけだろうか。

0411frankfurt3

0411frankfurt4  午前10時を過ぎた頃か、雨も上がり、薄日もさしてきた。観光客らしい人の流れもある。それに乗る。連れられて行くと、レーマー(Romer)のあたりか、クリスマス装飾の品々を売る小店が集まる広場に出た。ローソク等の灯りを燈すランプだろうかおもしろい形をするものに魅入った。

 欧州というところは、製品というか工芸品というのか、モノの個性、モノへの思いが大切にされるところ、と改めて感じたような気がした。

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